現在、僕はSNSやネットを使って自分が重度のアスペルガー症候群であり、
その克服と改善方法、ASDやADHDでも知識があれば自分で自立してビジネスを立ち上げ、
収入面、
時間面、
人脈、
あらゆることが自由になる方法を自分の仲間である発達障害者に向けて、情報発信しています。
40歳になり人生がある程度、落ち着いてきたので、
今回は生まれてから今までのアスペルガー人生を振り返ってみようと思う。
- ASDやADHDでも障害に負けることなく自力で這い上がり、お金も時間も手に入れて自由に生きれる方法が分かる
- 人間関係が上手く行かない発達障害者が、いかにコミュニケーションの問題を乗り越え、自分らしさを発揮できるかが分かる
- アルコール依存症や、ギャンブル依存症に陥りやすいADHDの人が、どうすれば、依存にならずに人生を過ごせるか分かる
- 親ガチャ失敗で自分も不幸に陥ったと思っているASDやADHDの人が、実は親のせいでも生まれた環境でもなく、発達障害が原因だと理解できる
- 会社や学校で孤独で過ごしていても、別にコミュニティに属さなくても快適に生きていける方法が分かる
- 結婚してから自分がASDやADHDが原因で、家庭内暴力があったり、不倫があったり、子供の気持ちが分からなかったり、どんな困難があっても、結局、家族が仲良く過ごせる方法が分かる
僕の人生の振り返り全てをASDやADHDの症状と繋げて、ストーリーとして書くので、
あなたの障害とも重なる部分があって、必ず改善方法が見つかるので、ぜひ最後まで読んでみて欲しい。
僕は現在40歳で、ADHDの奥さんと、ASDの長女、ADHDの次女、あとうさぎ一匹と、4人+1匹で暮らしている。
株式会社を設立してから8年が経ち、いろいろなビジネスをやってきた。
今は、SNSやネットだけを使ってリアルビジネスではなく、ネット完結のビジネスを主にやっている。
インスタ広告を使ったアフィリエイトに挑戦し、1年間で2000万円ほど儲けたり、
自分が得意だった営業の方法をコンサルしたり、思いつく限りのことに挑戦している。
別にお金が欲しくてやってるわけではなく、自分が得意なのがお金儲けなだけ。
これといった趣味がなく、毎日することがないので、とりあえずビジネスをやっている。
でも飽きる。
お金儲けだけを考えて日々過ごしていると、ゼロからビジネスを作っているときは楽しいけど、
いざ出来上がって、そのビジネスからお金が入るようになると、途端にドーパミンが出なくなって飽きてくる。
だから、一つのビジネスを始めると大体3年もすれば飽きて、別のビジネスをやりたくなる。
そうやって8年間、株式会社を運営してきた。
もちろん人が育つわけがない。
ネットビジネスを始めて、早4年。
2019年の末までは、テレアポの営業会社をやっていた。
従業員10名雇って、事務所も借りて、
テレアポの機材も揃えて、デスクや椅子も完備、
売上をきちんとやるアルバイトの60歳代の女性に月50万円の給料を払っていた。
扱っていた商材がリフォーム関係だったり、太陽光発電だったので、
1件の成約が300万円とか500万円の世界。
月1000万円くらい売り上げるテレアポバイトの人もいたので、会社的には別に問題がなかった。
問題だったのは、僕のアスペルガーっぷりだった。
僕は人の気持ちや言葉の曖昧な部分、人がなぜ雑談をするのか、なぜ会社に不満を持つのか、
なぜ本音をズバッと言わないのか、いわゆる定型発達の普通の人たちが感じることが一切理解できない。
自分がアスペルガーだと気づかないまま、僕は37年くらい過ごしていた。
もちろん、テレアポ会社を運営している3年間くらいも、何も気づかずにひたすら頑張るだけだった。
自分はテレアポでも訪問販売でも、何をやっても上手くいく。
それはアスペルガー特有の過集中のおかげ。
営業という仕事に集中すれば、どうやったら売上が立つのか、いかに効率良く、無駄なく、最大の売上に繋げるにはどうすればいいか。
ひたすら毎日、そればかりを考える。
そうすることで、他の営業マンの5倍は売上をやってきた。
でも、それを人に教えることができない。
アスペルガーは、人の気持ちや感情が理解できないので、なぜその人が出来ないかが分からない。
自分が成功していることをそのまま伝えても、人が同じように出来るとは限らない。
だから、テレアポ会社を運営しても、社内がまとまらず、結局は空中分解するみたいに、メンバーは去っていった。
テレアポ会社を始める前は、リフォーム系の営業会社として、個人宅を1件1件、インターホンを押して飛び込み営業する会社を立ち上げた。
僕は飛び込み営業だけで、10年間の営業生活で40億円の売上を作り、2000件のお客さんに販売してきた。
でも、苦労して営業していた記憶はない。
ここでも、アスペルガーが得意な過集中と、人の気持ちが分からない、空気が読めない特性が発揮された。
僕は初対面で全く知らないお家のインターホンを押すことに何の感情も湧かない。
定型発達の普通の人だと、初対面の人と話すのは緊張するとか、訪問販売なんて勇気が必要で自分には無理だという。
でも、僕からすると何でそんなことが勇気がいるのか理解ができない。
別に一軒家のインターホンを押すという行為は、
自分の指と、
そのインターホンに近づくための両足、
あとインターホンから聞こえるお家の人の声を聴く耳、
あと物事を判断するための目とか脳があれば誰でもできる。
そう考えてしまう。
そこがアスペルガー全開だと気づくまで、37年くらいかかった。
自分が発達障害だと気づかないと、自分が当たり前に出来ていることが、定型発達の人たちは絶対にできない、至難の業だと知ることができない。
あと、僕はアスペルガーの特徴として、
何でもマニュアル化したり、
パターン化したり、
規則正しくルールを作ったり、
営業をしているときも自分が話す営業トークは、
全てマニュアル化していた。
そのマニュアルに沿ってインターホンを押した瞬間から、アポを取るまで一連の流れが全て決まっていた。
その流れに沿わない人は僕は臨機応変に対応が出来ないので、途中で話が終わったり、アポにならなかったりした。
でも今思うと、その当時やっていた全てをマニュアルに従って、最初から最後まで同じ流れを統一して営業することをマーケティングと呼ぶらしい。
普通の営業マンは、出会った人すべてに売ろうとする。
そうなると、売れない人まで相手をして結局は長々と話して結果売れないことが多い。
でも、マーケティングを使った営業をやると、最初から最後まで売れる人にしか話しをしない。
途中で話が逸れていく人は自分のお客さんにならないので、早い段階で話をやめて次の家に訪問する。
そんな感じで、
僕は無意識のうちにマーケティングを使った営業を
1日300件、
週1500件、
月6000件、
年7万2千件、
10年で72万件は、個人宅の一軒家をインターホンを押して訪問した。
当時、周りの営業マンや勤めていた会社の社長に
「なんで1日300件も、訪問できるの?」
と驚かれていたけど、今考えると
「アスペルガーの過集中があるので平気です」
って返事すべきだった。
そのときは、自分がアスペルガーだなんて1ミリも気づいてなかったし、ASDやADHDという言葉さえ知らなかった。
ただ、普通の人たちと自分は、何か違う、何か馴染めないと毎日感じていたのは確か。
営業会社の社内では、同僚たちが毎日飲み会に参加してるのに、僕は自分の仕事が気になって、途中で辞めることができず、毎日朝4時まで仕事をしていた。
アスペルガーは自分がやっていることを完全に終わるまで、ひたすら続ける完璧主義という特徴を持っている。
気になったら途中で辞めて帰ることができず、永遠に続けてしまう。
結果、僕はうつ病になり、
精神的に病み、
家で急に暴れたり、
アルコール依存症になったり、
夜中に家から飛び出して、
朝まで街を徘徊するくらいの不安障害になってしまった。
あと、仕事はできるので、勝手に役職が上がっていって、気づいたときには社長の下の営業本部長という役職になっていた。
給料は固定で月75万、ボーナスは年4回あった。
年収は軽く1000万を超えていたけど、結局そこでもアスペルガーの特性が邪魔をして苦労した。
自分が仕事ができても営業本部長になると、自分の部下や後輩の面倒を見ないといけない。
でも、僕は人の感情や気持ちが分からない。
だから、部下や後輩たちが営業で売上が立たず、困っていたり、会社に不満が溜まっていることを理解してあげることができなかった。
結局、社長と赤字社員の板挟みになり、中間管理職が一番無理な僕はパニック障害に陥った。
ある日、仕事が終わって電車に乗って帰るとき、なんでもない帰宅ラッシュが地獄に変わった。
急に視界が狭まり、まず目が見えなくなった。
昔のテレビで例えると、深夜放送が終わったら画面が砂嵐になる状態。
あれが自分の視界で起こって、次は耳が聞こえなくなった。
そして、次が一番怖い。
なぜか、陸上を走っている各駅停車の中で、呼吸が出来なくなって溺れそうになった。
目が見えなくなり、
耳も聞こえない、
おまけに息もできない。
さっきまで元気だったのに、急に死の恐怖が襲ってきた。
これがパニック障害。
本当に死ぬわけでもないのに、自分の身体と精神を守るため、防衛本能としてストレスをシャットダウンする。
だから、視覚、聴覚を閉ざし、呼吸が出来なくなるという、死の恐怖を自分自身で作り出すことで、そのストレスから離れようとする。
なんとか、次の駅で降りた僕は、その場で会社の社長に連絡し、
「今、パニック障害になったので、もう会社を辞めます」
とだけ伝えた。
すると頭の回転がめちゃくちゃいい社長は、
「10日間、休みをやるから温泉でも浸かってこい」
とだけ言って電話を切った。
そりゃ、当時会社で一番売上を上げているトップ営業マンを簡単に辞めさすわけにいかない。
社長の瞬時の判断は素晴らしかった。
それから僕は10日間の休みをもらって、奥さんと一緒に大分県の由布院に温泉旅行に行った。
そこで好きなだけ温泉に入ってメンタルを取り戻してからは、今までパニック発作を起こしたことはない。
僕がなぜ、営業マンになったかというと、それはただ一つ。
お金を稼がないといけなかったから。
営業を始める前の僕は、26歳にして月収17万円のど貧乏。
その時はIT系のプログラマーとして、大手家電メーカーで液晶TVの開発をしたり、医療機器メーカーに常駐して、制御装置のプログラム開発に携わっていた。
ちょうどその当時、リーマンショックという世界的な大不況が起きて、それまで残業代だけが頼りだった僕は、会社が一斉定時退社になって収入が劇落ちした。
当時のIT系プログラマーというと、朝8時30分に出社して、退社するのは夜の12時前。
納期前なんかは朝4時まで仕事をして、始発で家に帰り、シャワーと着替えを済ましたら、また8時30分に出社が当たり前。
そんな過酷なIT企業の社畜社員を僕は23歳の新卒から3年間勤めた。
IT企業に勤めているときも、もちろんアスペルガーの症状があったので、飲み会に参加すると、大人数での会話についていけない。
皆が話す声が同時に耳に入ってきて脳がパニックになって、頭が真っ白になる。
人の話を聞いているうちに、自分が話たいことが分からなくなり、結局は何も話せなくなる。
当時は自分のコミュニケーション能力がなさすぎると思ってたけど、40歳になった今でも大人数での会話についていけない。
アスペルガーの症状は生まれてから死ぬまで治ることはない。
毎日、認知療法や行動療法、
食事療法や運動療法、
あと睡眠療法、
さまざまな改善方法を行って、初めて改善される。
確かに完治はしないけど、自分がASDやADHDだと知ることは、定型発達の普通の人たちと線引きするのにかなり役立つ。
ASDやADHDの人は、生まれたときから死ぬまで、脳の構造や機能自体が定型発達の普通の人たちとは違う。
まずはそれを自覚することで、
「自分は普通ではない、普通に生きること自体が合っていない」
と理解できる。
その上で、定型発達の普通の人たちが当たり前に出来ることと、ASDやADHDの自分たちが苦手なこと、どう頑張っても出来ないことを切り分ける。
そして、苦手なことや、どう頑張っても出来ないことは諦める。
目が見えない人が、どう頑張っても目が見えないように、
耳が聞こえない人が、どう頑張っても耳が聞こえないように、
僕たちASDやADHDの人は、脳の構造上、どう頑張っても出来ないことがある。
それは、人の気持ちが理解できなかったり、
大勢での会話についていけなかったり、
急に不安が襲ってきたり、
聴覚や視覚、嗅覚が異常に敏感だったり、
完璧主義が治らなかったり、ASDやADHD特有の症状がある。
そのマイナスやネガティブな部分を無理やり治そうとしても、治る障害ではないので、ある程度諦めた方が早い。
それよりも、
ネガティブな症状に目を向けず、ASDやADHDが持っている特殊な能力や、ポジティブな面だけを伸ばした方がいい。
例えば、僕のようにASDの気質が割合的に高い場合、
左脳が定型発達の普通の人たちよりも遥かに発達しているので、
今書いている文章のように、自分の考えや思ったことを何万文字、何十万文字、何百万文字も簡単に書けてしまう。
あとは数字に強かったり、
言葉で永遠と話すことができたり、
コピーライターや作家、
文章を使った仕事、
経理、
弁護士、
プログラマー、
設計士など、
世間的には固い仕事と呼ばれているような、真面目な仕事に向いている。
あとはASDの人はルールや規律を守る傾向にあるので、
警察官や自衛官、公務員など、
自分が担当する仕事のルールが全て決まっている職種に就くと活躍できる。
ADHDの気質が強い方は、ASDとは正反対で、右脳が定型発達の普通の人たちよりも発達しているので、
デザイナーやプランナー、
クリエイター、
エンターティナー、
俳優や女優、
ゲーム実況やYouTuber、
バックパッカー、
アーティストなど、
自分の感情や表現力を武器にした、自由に出来る仕事に向いている。
これを知るためには、まず自分自身がASDやADHDの特徴があるのか、
特徴があるなら、ASDとADHDのどちらが強めなのか、自分自身をよく知ることから始めるといい。
僕は実際にブレインクリニックに行って、自分の脳波を計測してもらって、自分の脳の状態を科学的に分析してもらった。
このように自分の脳内を医療を用いて、科学的に分析してもらうことで、
「やっぱり自分は普通の人とは違うんだ」
という安心感を持つことができる。
脳の構造や処理状態が違うんだから、普通の人たちと合わなくて当然。
普通の人たちが出来て、自分が出来ないのも当然。
でも、ASDの傾向が強いなら、過集中という特技があるから、自分が興味を持ったことに24時間365日、没頭し続けられる。
この特技は、自分でビジネスをするときに大きく役立つ。
自分でビジネスを立ち上げるときは、必ずゼロから立ち上げる。
そのときに、ASDの傾向が強い人であれば、全く何もないところから自分で考え、自分の力だけでビジネスを収益化させることができる。
僕はこのASDの特性を使って8年間、自分でビジネスを立ち上げては、収益化に成功している。
僕が社会人になったのは23歳の春からで、それまでの生まれてから学校を卒業するまでの22年間くらいも、アスペルガーの特性で悩まされた。
僕が生まれたのは大阪の南の方で、母親はASDの気質があったし、父親はASDとADHDの気質があった。
僕には歳の離れた姉が2人いる。
その姉たちもまた、ASDやADHDの気質を持っている。
ASDやADHDは遺伝性が強い。
自分がASDやADHDなら、間違いなく自分の子供や孫、自分の親や祖父や祖母、その祖先や末代まで、ASDやADHDの遺伝子を持っている。
それはなぜかと言うと、
ASDやADHDの遺伝子は、人類が誕生した太古の野生の本能が強いから。
ASDやADHDの人たちが、今の定型発達の普通の人たちと馴染みにくいのは、ASDやADHDの人が変なのではなく、今の現代人が動物としての野生の本能が退化した状態。
天皇家が代々、何千年も同じ血統で繋がってきたように我々、ASDやADHDの祖先たちも、自分たちを仲間だと感じ、同じ血統を継承して今の現代まで繋がってきた。
だから、ASDの人は敏感で聴覚過敏や嗅覚過敏、視覚過敏があるのは、動物で例えるなら、
うさぎが聴覚が異常に発達していたり、
ダチョウの視力は20を超えていて、40メートル先を歩いている小さなアリをはっきりと見ることができるのと同じ。
ADHDの人は、太古の地球では狩りを主に担当していたので、家にじっとこもっているより、常に外に出て人とコミュニケーションを取ったり、
体育会系の人が多いので、
筋肉が異常に発達していたり、
格闘技が強かったり、運動神経が抜群にいい。
このようにASDとADHDの特性を知って、なぜ自分はその特性を引き継いでいるのか、なぜ自分の親や子供まで、同じような人生を辿るのか、
一度自分の人生を振り返ってみると、必ずASDやADHDが持っている特徴に行き着くはず。
僕の場合だと、母親は自分の子供の気持ちが理解できないと、ハッキリと日記に書いていた。
その通りで、僕の母親は人の気持ちが理解できないASDの傾向があったので、僕や姉2人に自分のイライラを虐待という形で与えていた。
脳の構造上、すぐにイライラする特性を持っていたので、ちょっと自分の思い通りにならないと、そろばんで頭から血が出るほど、僕の姉は殴られていた。
父親は自分が興味があるものしか集中できないASDの特性が強かったので、
自分がやっている造園業の会社に熱中して、家には一切帰ってこなかった。
たまに遊びに連れて行ってもらったけど、父親が興味があるパチンコやスナック、愛人の家など、5歳の幼稚園児の僕にはハード過ぎる遊びを教えてもらった記憶がある。
これも、自分がASDやADHDだと知らないと、
「自分の親は酷い親だ」
「子供の気持ちを理解してない」
「あんな親ガチャ失敗したから、自分も不幸になった」
「親が自分を虐待したからトラウマが残った」
「だから自分は今でもアダルトチルドレンが治らない」
という妄想の世界から抜け出せなくなってしまう。
自分が今不幸だとすると、それは全てASDやADHDが持っている特性が原因。
脳の構造自体が普通の人たちと違うので、しかもそれが先祖の代から遺伝してるので、当然自分の親や祖父母、自分の子供や孫が、普通でないのも当然。
僕は小学校3年生のときにサッカースクールに通っていたけど、そのときもアスペルガーの症状が出ていた。
普通、サッカーのルールでは競技中にボールに手で触ってしまうと、ハンドという反則になってしまう。
そして、普通はそのハンドの反則を犯した味方に、わざわざルール違反だと審判に告げることはない。
ハンド、ハンドと叫ぶのは、敵の選手がボールに手を触れたときだけ。
でも、僕はハンドという反則があるのを知ってから、味方がボールに手を触れた瞬間、ハンド!と審判に向かって叫んでいた。
審判から
「お前、味方がハンドしたのを一生懸命に訴えてどうするんだ?」
って呆れた顔で言われたのを今でも覚えている。
アスペルガーは、ルールはルールということしか理解ができないから、暗黙の了解や阿吽の呼吸みたいな、曖昧な表現や言葉の裏の意味が理解できない。
そのときは、
「そうか、味方がハンドしても審判に言ってはいけないのか」
って真面目に理解してたけど、今思うと親とか身内が気づいて、
「この子には発達障害があるんじゃないか」
と考えてあげるべき。
自分の親も発達障害の場合、親が自分が発達障害だと気づかないと、その子供も気づかず、一家総出で一般常識が分からず途方に暮れる原因になる。
だから、僕は自分がASDとADHDの傾向があると知ってから、自分の奥さんや子供たちに
「自分たちは発達障害の可能性がある」
と、きちんと伝えるようになった。
それまで僕のADHDの奥さんも、
「なぜ、自分は子育てが出来ないんだろう」
「なぜ、他のお母さんが出来ているのに自分は出来ないんだろう」
「なぜ、家事や掃除が上手く出来ないんだろう」
「なぜ、自分の家庭が上手く行かないんだろう」
と、相当悩んでいた。
その結果、自分が悪いと思い込み
「カサンドラ症候群」
という病気になってしまった。
カサンドラ症候群とは、家族内にASDなどの発達障害者がいる場合、家族と適切な意思疎通や良好な関係性を築けない心的ストレスから、
不安障害や抑うつ状態など、精神的に病んでしまう病気のこと。
しかも、奥さん自体もADHDなので、定型発達の普通の人でも耐えられない状況に陥ってしまった。
そんなときでも、
「自分の夫はASDという障害があって、自分自身もADHDの傾向がある」
「家庭内が上手くいかないのは私や夫のせいではなく、ASDとADHDの障害が悪い」
このように、自分の人生が上手くいかない原因を自分自身に向けるのではなく、発達障害だから仕方ないと諦めると、人生がすごく楽になります。
実際、今の僕たち夫婦と子供たちは、自分たちが発達障害だと知って、とても幸せに暮らせるようになった。
何も知らないときは僕の長女も
「なんで、こんなに匂いに敏感なんだろう」
「なんで、電車やバスに乗ると人が多くて気分が悪くなるんだろう」
「なんで、IHクッキングヒーターから出る、耳では聞こえない音が不快に思うんだろう」
「なんで、学校に行く前にこんなに不安になるんだろう」
毎日、なんでなんでと、家族全員で頭を悩ませていた。
今では
「全部、ASDとADHDの症状から来る悪影響やん」
って、自分たちを客観的に見ることが出来るようになり、毎日の不安から見事に開放された。
そうすることで、僕の奥さんは、
「自分のことだけに集中して、自分の好きなことだけをやり続ける」
ようになったし、僕の娘たちも
「学校で友達がたくさんできて毎日が楽しい」
状況にまで改善した。
僕は、人混みや人とチームワークを組むことが出来ないので、自分自身にとことん集中して、ASDの症状が出てツラくなるようなことは一切しない。
ASDが得意なことだけやろうと決意して、文章を中心としたビジネスに集中している。
ASDもADHDも自分たちの得意、不得意が全然違うし、
ASDが強めのADHD傾向がある方、
ADHDが強めのASD傾向の方、
完全なASD、
完全なADHD、
各症状が強い弱いなど同じ発達障害でも一人一人、全然違う。
だから、まずは自分自身が何者かを知って、その上で自分に合った改善方法を試していかないと、人生はなかなか好転しない。
僕自身、自分がASD強めのADHD傾向もある人間だと知ったのが、3年目くらいなので、まだまだ発達障害についての知識や経験が浅い。
それでも毎日、発達障害について調べまくり、自分で出来る改善は全部やって、ブレインクリニックにも行き、まずは自分自身と家族を理解することができた。
次は、そこで培った経験を自分と同じように、ASDやADHDで苦しんでいる仲間たちを救うために、より体系的に全てのパターンが網羅できるような環境を整えていく。
もちろん、ASDやADHDを改善するための、
食事療法、
運動療法、
睡眠療法、
対人関係の改善、
恋愛面の改善、
行動療法、
認知療法、
さまざまな療法を研究して分かりやすく伝えていく。
それだけではなく、ASDやADHDの方が一番困っている
「会社や学校で定型発達の普通の人たちとコミュニケーションが取れず苦痛」
「会社を辞めて自分一人で稼げるようになって、金銭面、時間面、環境面で自由になりたい」
「誰にも縛られずに自分らしく自由に生きたい」
これらについても解決していく。
現代社会に馴染めず、毎日が地獄の発達障害者たちのために、
自分でSNSやネットを使って、自分一人で稼いで生活が出来る方法など、完全に自立できるような支援もやっていく。
金銭面で困らなくなれば、障害者認定を受けている方でも障害者手帳を取って、障害年金をもらいながら自分でビジネスをやり時間も自由になれる。
まさに、今の僕みたいな生き方が出来るようになる。
その段階を目指して、一つの
「ASDとADHDだけの村」
を作ろうと考えている。
一つの村が出来上がれば、その中で自分の居場所やASDとADHDの問題、仕事面での問題も解決するし、
何よりも自分たちの仲間が居るという、心強さが断然に違う。
僕がこれだけ文章を書きまくっているのも、今まで40年間くらい超孤独だったのが、SNSやネットを見ると
「自分と同じように苦しんでいる仲間がいる」
ことを知ったから。
今までは何をやっても中途半端で終わっていた僕が唯一、
「これなら一生追求して研究していけそう」
という最大の目的に出会った感じ。
人間の脳は宇宙と同じで、僕が生きている間くらいでは全て解明することは絶対に不可能。
その不可思議な状態が自分の頭の中で起こっていて、それを解明していけば、自分自身も家族も、同じようにASDやADHDで悩んでいる仲間も全員が救われる。
そう思うと、アスペルガー特有の知的好奇心の探求が止まらない。
だから、自分が興味を持ったASDとADHDに全てを全集中させ、これからも色んなコンテンツを作って、あなたにお届けします。
僕は、ASDやADHDに関する悩みや相談、質問や仕事面での相談、自分で自立して生きていきたい人のために無料相談を実施している。
期間限定なので、いつ締め切るか分からないのと、相談人数が増えてくると僕も手に負えないので、相談してみたい方は早めにご連絡ください。
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それでは、今日はこのくらいにして、これからもASDやADHDの方のためになるような、コンテンツをどんどん作っていくのでお楽しみに。